ラ・フォル・ジュルネ金沢2015も本日が最終日。快晴の中,私は朝10:00から夜20:30頃まで,ほぼ30分感覚でフルにハシゴをしました。
植木等も歌っているように「いつの間にやらハシゴ酒...わかっちゃいるけど,やめられない」という域になりつあります。これも「ラ・フォル・ジュルネ」の精神の一種かもしれませんが,家族からは呆れられています(既に放置されています)。
日中の公演では,チョン・ミョンフン指揮&ピアノの2公演が大入り満員でしたが...「バッハ,ヘンデル,ヴィヴァルディ」から逸脱した公演だったので,個人的には音楽祭全体から見ると「なぜここに入る?」と違和感を感じました。
それと,「コンサートホールを満員にできるのは,やはり交響曲だけか?」とちょっと寂しく感じました。...と言いつつも「チョン・ミョンフンが来る」ということで,しっかり聞いてきました。
ベートーヴェンの交響曲第7番はOEKの得意のレパートリーですが,弦楽器の編成がかなり大きかったこともあり,OEKで聞くのとは違った迫力を感じました。ただし,OEKの演奏に耳が慣れているので,やはりやや大味かなと感じるところがありました。
これまで聞いてきた「何が出てくるかわからない」バロック音楽の数々と比べると,古典的なレパートリーを改めて聞くこと自体,妙に予定調和的にも感じました。OEKの場合,レパートリーの幅が狭い分,常に予定調和的なものを打破しようと,あれこれ手を変え,品を変えチャレンジしているようなところがある気がします。
そう感じたのは,本日の夕方に邦楽ホールで行われた,アビゲイル・ヤングさんとOEKの弦楽セクションによるヴィヴァルディの「四季」を聞いたからかもしれません。この演奏は,「OEKの歴史の一つの到達点」を示す演奏だったと思います。ヤングさんと各パートのトップ奏者がコンタクトを取りつつ,全員がソリストのように演奏していました。指揮者なしにも関わらず,メンバーはヤングさんの動きにしっかり反応することで,「夏」の第3楽章のような急速な部分でも全く乱れることなく,迫力と気迫たっぷりの演奏を聞かせてくれました。
その他,邦楽ホールで聞いた,御喜美江さんのアコーディオンにも感動しました。アコーディオンは人間の体調がそのまま反映する楽器だと御喜さんはトークで語っていましたが,まさに御喜さんの人生そのものが表現されたような演奏の数々でした。
アンヌ・ケフェレックさんは,毎回毎回レベルの高い演奏を聞かせてくれることが素晴らしいのですが,今回は,バロック音楽の小品を沢山ならべて,45分の音のドラマを伝えてくれました。「途中で拍手はいれないでください」と日本語で語った後,演奏を開始したのですが,ヘンデルのパッサカリアから始まり,抒情的な曲も含め,最後はヘンデルのシャコンヌで締めるという,とてもよく考えられた選曲でした。最後のシャコンヌ自体,人生の起伏を感じさせる曲で,「バロック音楽もいろいろ,人生もいろいろ」と島倉千代子のような歌のようなことを思いながら,45分のケフェレックさんのピアノに集中しました。
コンサートホールでは,アンドラーシュ・ケラー指揮コンチェルト・ブダペストが,「朝一」と「最終」の2回登場しました。ケラーさん自身のヴァイオリンも素晴らしかったのですが(実はセルゲ・ツィンマーマンさんの方がメインかと思っていたのですが,ケラーさんの方が中心でした),最後に登場した,ラーンキ一家(3人ともピアニスト)との共演が独特の世界を作っていました。
バッハのクラヴィア協奏曲をピアノで演奏すると,どうしても重い感じになり,「ちょっと違うかな」と思ってしまうのですが,それが3台となると,もうバッハを超越した感じになります。
今回はさらに,ドゥカイというハンガリーの現代作曲家のピアノ作品(実は,会場にご本人がいらっしゃいました)を組み合わせることで,不思議な陶酔感を醸し出していました。
ちなみにこの公演のピアノの配置ですが,「父・子・母」という形で,まさに「川の字」になっていました。父親のデジュー・ラーンキさんは,実は1980年代の中頃に一度,金沢でリサイタルを行っています。その公演を聞きに行ったことがあるので,その当時の自分のことなどを思い出しながら,色々と懐かしくなりました。
さて,クロージングコンサートです。ラーンキ一家の公演が終わった後,地下に向かうと既に長蛇の列ができていました。今年もこの公演は大人気でした。
最初,曽根麻矢子さんの独奏で「スキタイ人の行進」が演奏された後,ヌオーヴォ・アスペット・ブレーメンが登場し,ヴォーカル付きの古楽が演奏されました。内藤淳子さんと岡本誠司さんのヴァイオリンでバッハの2台のヴァイオリンのための協奏曲が演奏され,さらにソプラノの小林沙羅さん,バスの森雅史さんの歌を交えて,バッハのカンタータの中の1曲が歌われました。
会場の交流ホールは,音響的にはベストではないのでが,大相撲の「砂かぶり」のような所でアーテストに接することができるのが魅力です。特に小林沙羅さん,森雅史さんのお2人の声が頭の上から降って来るのが嬉しかったですね。このお2人は,井上さん指揮の「フィガロの結婚」にも登場しますので(アナウンスがあると思ったのですが,特になかったですね),近いうちにまた再会できそうです。
その後,バッハの「主よ人の望みの喜びよ」とヴィヴァルディのグローリアの一部が「金沢フィガロ・クワイヤ」の合唱を加えて歌われました。ヴィヴァルディのグローリアは,是非全曲を聞いてみたい曲だと思いました。
そして,最後の「みんなでハレルヤ・コーラス」のコーナーになりました。「きっと,青島広志さんあたりが簡単に指導してくれるのだろう」と思っていたのですが,やはり,そんな短時間で簡単に指導できるはずもなく,そのまま「歌える人は歌ってください」という感じで音楽が始まりました。
回りの人たちが立ち上がったので,「適当に歌ってみるか」と私も立ち上がってみました。
立ち上がると世界が変わることが分かりました。まず,オーケストラの音がよく聞こえ,奏者との距離がさらに近くなった感じがしました。気持ちが良いですね。
ただし...「ハーレルヤ」と歌い始めたものの...後が続きません。しかも私のすぐそばにいた人が,どう見ても(どう聞いても)経験者で,しっかりとテノールのパートを歌っていました。これだと適当に歌うわけにもいきません。ということで,「まぁ,ハレルヤ・コーラスは起立して聞くという習慣だから」ということで,立ったまま聞いていました。
唯一歌えたのが男声のユニゾンになる,最後の方に出てくる「King of Kings」の部分です。ここだけはしっかり参加できました。いずれにしても,「少しでも参加できると気持ち良い」と実感できました。
それにしても近くに居た人は,きっちりと歌っていました。通常の歌詞の裏で,男声パートだけ「ハレルヤ,ハレルヤ...」と歌っていたり,結構,忙しげな曲だと分かりました。
この演奏の時,OEKのメンバーの一部が会場の通路でも演奏していたのですが,これも良かったと思います。
というわけで,「歌いたいけど歌えない」という歯がゆさはあったものの,クロージングコンサートならではの,年に一度の一体感を味わいながらお開きとなりました。
毎回このコンサートが終わると,OEKをはじめとした演奏者の皆さんに加え,音楽祭の運営にあたったすべての方に感謝をしたくなります。その感謝の気持ちを表現するためにも,「お客さん参加型」クロージングコンサートを今後も定例化していってほしいと思いました。ただし,もっと簡単な曲が良いかもしれませんね。
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最後に,来年のテーマが井上道義さんから発表されました。「自然」とのことです。「作曲家しばり」でないとすれば,どういう曲が入ってくるのだろうか?「アート」は「自然」の対義語でもあるので,難しそうだけれども面白そう...などと思いを巡らせながら帰途につきました。
自分自身も含め,参加された皆様,お疲れ様でした。
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